西部商事事件(退職後の競業避止義務)

西部商事事件(福岡地裁小倉支部平成6年4月19日判決)
「退職後3年間、場所的に無制限の競業避止義務を課す旨の契約の解釈は、契約締結の目的、必要性からみて合理的な範囲に制限され、使用者の営業秘密を不正に利用したり使用者の営業に重大な影響を及ぼすというような背信性の強い場合に限定すべきとされ、退職して6ヵ月後の同業他社への就職は債務不履行に当たらず、退職金返還請求も認められないとされた。」


[事実の概要]
X会社は、手形貸付、金銭消費貸借による貸付等の方法により金融業を営む株式会社であり、Yは、昭和51年から平成3年2月1日までX会社に勤務していた者である。Yは、X会社を退職するに際し、X会社との間で、(1)X会社の機密事項を厳守し、これを漏洩しないこと、(2)X会社を退職して3年間はX会社の事業と競合する同業他社に就職しないことを内容とする契約を締結した。Yは、X会社退職後、一旦はX会社と競業しない運送業に就職したが、同年8月これを退職し、同月半ばころX会社と事業が競合するA会社に就職した。そのため、X会社は、Yの上記行為が契約に違反する行為であるとして、損害賠償及び退職金の返還を請求した。


[判決の要旨]
本件秘密保持契約違反を理由とする損害賠償請求については、<(1)YがX会社の顧客との具体的取引内容を利用して営業したり、X会社の顧客だけを集中的に営業した事実はないこと、(2)YがX会社在職時に知りA社で電話営業した際に利用したとされる単なる電話番号程度は契約によってこれを秘匿しなければならないほどの重要な情報とは言えないこと、(3)Yが秘密情報を有していたとしても、退職から6ヵ月後にA会社に就職しており、金融業者における顧客情報は日々陳腐化していくと考えられ、6ヶ月前の情報の重要性は疑問であること、(4)YがA会社に就職する経緯には、やむを得ない事情が認められ、YがX会社の営業利益を不当に侵害する目的をもって計画的に同業他社に転職したものでないことを認定した上で、>YのA会社における営業行為は、本件秘密保持契約違反にはならないと解されるので、X会社の右契約違反に基づく損害賠償請求は理由がない。本件競業避止契約は、X会社代表者がX会社の営業秘密の漏洩を防止するために締結したものである。しかし、このように競合する職業に就職できないことは、Yにとって再就職の際の職業選択の自由に対する著しい制約である。したがって、この契約が、文字どおり、場所的に無制限、3年間もの長期間同業種への就職を制限するものであるとすれば、憲法の保障する職業選択の自由に対する不当な制約として公序良俗に反する無効なものと解すべき余地がある。殊にYは、当時41歳であり、高校卒業後、数年間船舶会社に就職したほかは約15年間金融業一筋に従事し、多くの経験知識を身につけており、もはや他の業種に転職して最初からやり直すことは年齢的にも困難な状況にあり、最も有利なこの職業を選択できなくなることはYにとって極めて重大な権利の制限であるということができる。もっとも、Yはこの契約の内容を理解した上で締結しているが、当時は同じ金融業に就職するつもりはなかったため、その影響の重大性を顧慮することなく、気軽に契約を締結したことが窺われる。従って、この契約の解釈については、その契約締結の目的、必要性から見て合理的な範囲に制限されると解すべきである。また、このように制限的に解することによってのみ、この契約は有効になると解すべきである。<Yはある程度顧客情報を知り得る立場にはあったが重要情報は知り得る立場になかったこと、Yの他社への移転に伴い顧客が一緒に移転することは考えられないことを認定した上で、>Yの場合には、営業秘密漏洩防止のために競業避止契約を締結する必要性はそれほど大きくなかったと考えられる。そうすると、本件競業避止契約のように、場所的に無制限、かつ3年という長期間の制約を課する合理的根拠は乏しいというべきである。ただ、かつてX会社の退職者がX会社のすぐ近くで金融業を開業してX会社が著しい影響を受けたことがあったことから、特にこの契約を締結するに至ったことが認められる。そうすると、この契約による競業規制の範囲は、右のように、X会社の営業秘密を不正に利用したり、退職直後からX会社のすぐ近くで金融業を開始してX会社の営業に重大な影響を及ぼすというような背信性の強い場合のみに限定すべきものと解するのが相当である。そして、その背信性の有無の判断については、その退職に至る経緯、目的、競業関係に就職することによってX会社の被る影響の程度など諸般の事情を総合して判断すべきである。<Yには、自己の利益のためにX会社を退職・独立しようとする動機やXの資料を利用して営業する意思は認められないこと、当初は他の職業に就職したが過酷な勤務条件等によりやむなく金融業に就職したこと、時期的には6ヶ月の期間を置き、場所的にも他の地区において就職し、X会社と競合しないよう配慮したこと、実際にもX会社の営業秘密の不正取得・不正利用は認められないことなどを総合し、Yの本件競業について、>これを禁止しなければならないほどの顕著な背信性は認められず、他に右のとおり著しい背信性を認めるに足りる証拠はない。従って、このような場合にまで本件競業避止契約の効力が及ぶものと解するのは相当ではない。よって、Yの本件A会社への就職及びそこでの営業活動が本件競業避止契約の債務不履行にあたることを理由に損害賠償にあたることを理由に損害賠償を求めるX会社の請求は理由がない。また、退職金規程には、退職金を受領した退職者について<中略>退職後3年以内に同業他社に就職した場合は、退職金全額を会社に即時返還しなければならない旨の規程が存するが、<中略>右退職金返還条項については、X会社の就業規則を介してYとの労働契約の内容となっており、使用者たるXには退職金制度の有無、内容についての一定の裁量があることを考え合わせると、無効ということはできない。しかし、本件退職金の<中略>支給条件及び支給額の裁量の幅が狭いことに照らすと、本件退職金には継続した労働の対償である賃金的性質があることは否定できず、他方、右返還条項は退職金の全額返還を定め、しかも、同業他社への就職を3年もの長期にわたって規制しているので、退職従業員の職業選択の自由に重大な制限を加えているといわざるを得ない。従って、この競業規制違反による退職金返還条項は、前記に判示したと同様の理由により、その形式的文言に関わらず、退職者に右労働の対償を失わせることが相当であると考えられるような、X会社に対する顕著な背信性が認められる場合に限って適用されると解すべきである。そして、既に認定したとおり、<中略>Yに特に非難されるべき事情は見当たらないので、Yに前記退職金返還条項を適用することはできないものといわなければならず、右条項を理由とするX会社のYに対する退職金の返還請求は理由がない。