T工業(HIV解雇)事件(労働者の人格権の尊重)

T工業(HIV解雇)事件(千葉地裁平成12年6月12日判決)
「事業主であっても、特段の必要性がない限り、HIV感染に関する労働者個人の情報を取得し、または取得しようとしてはならず、特段の必要性もないのにHIV抗体検査等を行うことはプライバシーの権利を侵害するものというべきであり、また、検査の必要性が認められる場合であっても本人の同意も得ずに検査等を行うことは許されないとして、使用者の損害賠償責任を認めた。」


[事実の概要]
Xは、平成9年9月17日に、プラスチックフィルムの製造販売等を行うY会社と、1年間の雇用契約を結んだ者であるが、Xは、日本での在留資格を有し、日本国内に在住する日系ブラジル人であり、HIV感染者である。Xは、自己がHIVに感染していることを知っており、以前から治療を受けていた。Xは、同年11月5日、A病院においてY会社の定期健康診断を受けたが、Yは、Xの同意を得ずに、A病院にXのHIV抗体検査を依頼し、A病院は、Xに無断でHIV抗体検査を行い、その結果をY会社に通知した。同年12月16日、YはXに辞めて欲しい旨を告げ、その後、Xは出勤しなかったが、Xは、Yの本件意思表示は、XがHIVに感染していることを理由とする解雇の意思表示であって無効であるとして、雇用契約上の地位の確認と賃金の支払、不法行為に基づく損害賠償を求めた。


[判決の要旨]
Y会社は、従前から続けてきたのと同様に、日系ブラジル人で新規に雇用したXにつき、定期健康診断として本人に秘したままHIV抗体検査を無断実施し、その結果、XのHIV感染の事実が判明したことから、それを理由にXの退職を図って、当初は、感染事実の判明を契機にブラジルへの帰国を促したが、Xが応じなかったため、不景気によるリストラを表面的な理由としてXを解雇したものと認めるのが相当である。<(1)HIVに関する情報は、個人の健康状態に関わる極めて個人的な情報であり、HIV感染の事実が職場等で知られると無用の混乱・不安を招くおそれのあること、(2)日常の職場生活でHIVに感染することは考えられず、感染者について別個の処遇の必要性はないこと、(3)潜伏期間中、HIV感染者は健康な人と同様に日常生活や仕事ができ、感染は労働者の能力や適性と無関係であることから、>個人のHIV感染に関する情報が保護されるべきであり、事業主においてその従業員についてHIV感染の有無を知る必要性は通常認められないことからすれば、事業主であっても、特段の必要性がない限り、HIV抗体検査等によりHIV感染に関する従業員個人の情報を取得し、あるいは取得しようとしてはならず、右特段の必要性もないのにHIV抗体検査等を行うことはプライバシーの権利を侵害するものというべきである。仮に、事業主が、事業遂行のための労働衛生管理上の理由から、又は仕事に対する能力や適性判断のためなどから、HIV感染の有無に関する検査を必要とする場合であっても、HIV感染に関する情報保護の重要性に鑑みれば、右検査の必要性が合理的かつ客観的に認められなければならず、また、たとえ右検査の必要性が認められる場合であっても、検査内容とその必要性を本人にあらかじめ告知し、その同意を得た上で行われるべきであり、そのような必要性が認められず、あるいは必要性があっても本人の同意も得ずに右検査等を行うことは許されない<中略>。したがって、Y会社が、合理的かつ客観的な必要性もなく、かえって前述のような不当な意図の下に、XにHIV抗体検査を行うことを知らせず、当然その同意を得ることもなく、A病院に右検査を依頼し、その結果の記載された検査結果票を受けとった行為は、従業員についてのHIV感染に関する個人情報を取得し、あるいは取得しようとしてはならないという義務に違反し、Xのプライバシーを不当に侵害するものであるとともに、XのHIV感染を実質的な理由としてなされた解雇も、正当な理由を欠くものであって、解雇権の濫用として無効というべきである。以上のとおり、Y会社の行為によって、Xはそのプライバシーを侵害され、また不当に解雇されたものであり、これによってXが多大の精神的苦痛を受けたことは明らかであるが、HIV感染の事実そのものはすでにXは知っていたものであることを考慮すると、Xの右精神的苦痛に対する慰謝料としては200万円が相当と認められる。〈雇用契約上の地位確認について〉本件雇用契約は、契約期間を、契約締結日から1年間とし、右期間は、契約期間終了後、1年毎に更新することができるが、更新を希望しないときは、相手方に二か月前までに通知する旨の定めがある。そして、右契約条項や、Xの場合は平成9年9月17日に雇用契約を締結したばかりであって、まだ一度も契約は更新されていないこと、Xが従事していた作業の内容は、製品の梱包作業や巻き直し作業、清掃作業等の比較的軽易なものが主体で、長期間の継続した就労による技術の修得等を要するようなものではなかったこと、X以外の雇用契約が更新された従業員についても、その更新ごとに改めて雇用期間を1年間とする雇用契約書が取り交わされていることなどからすれば、XとY会社間の本件雇用契約は、その内容のとおりに1年間を雇用期間と定め、更新されない限りはその期間の満了によって終了する性質のものであると認められるのである〈中略〉。雇用期間満了後の更新が合理的に期待できたものとはいえず、他に雇用契約の更新を期待させる合理的な事情の存在は認められない。Y会社は、平成10年7月12日、Xに対し、本件雇用契約の更新を拒絶する旨通知しており、したがって同年9月16日をもってY会社とXとの間の本件雇用契約は終了したことが認められる。Xは、前述のとおり、Yの不当な解雇によって就労しえなかったのであるから、右就労不能は、使用者の責に帰すべきものというべきであり、Xには、本件雇用契約がその期間満了によって終了した平成10年9月16日までの賃金請求権が認められる。