東京リーガルマインド事件(退職後の競業避止義務)

東京リーガルマインド事件(東京地裁平成7年10月16日決定)
「競業避止義務を合意により創出する場合には、競業行為の禁止の内容が必要最小限度にとどまっており、かつ、労働者の受ける不利益に対する十分な代償措置をとっていることを要するものとされた。」


[事実の概要]
X会社は、大手の司法試験受験予備校であり、Yは、その専任講師を務め監査役にも就任していた者であるが、平成7年5月25日にX会社を退職すると前後して同月2日A会社を設立し、同社が営業主体となって司法試験受験指導を行うB塾を開業した。そのため、X会社は、Yに対し、競業避止義務を定める従業員就業規則、役員就業規則及び個別の特約に基づき、B塾の営業等の差止めを求めた。


[判決の要旨]
労働者は、労働契約に付随する義務として使用者の事業目的に反しその利益を損なう競業行為を行ってはならない義務(競業避止義務)を負うが、労働契約終了後は、職業選択の自由の行使として競業行為であってもこれを行うことができるのが原則であり、労働契約終了後まで右競業避止義務を当然に一般的に負うものではない。しかし、一定の限定された範囲では、実定法上労働契約終了後の競業避止義務を肯定すべき場合がある。<中略>。労働契約終了後であっても一定範囲で競業避止義務が肯定されるのは、労働者の職務内容が使用者の営業秘密に関わるものであるため、労働者が職務遂行上知った使用者の秘密については、労働契約終了後であってもこれを漏洩しないという信頼関係が使用者と労働者との間に存在することに基づくものと考えられる。不正競争防止法<中略>の規定は、労働者が信義則上営業秘密保持義務を負うため労働契約終了後の競業避止義務を肯定すべき場合につきその要件及び効果を明らかにしているものであり、当事者間の契約なくして実定法上労働契約終了後の競業避止義務を肯定し得るのは同法の右規定が定めている場合に限られるものと解するのが相当である。一般に、このような競業避止義務を定める特約は、競業行為による使用者の損害の発生防止を目的とするものであるが、それが自由な意思に基づいてされた合意である限り、そのような目的のために競業避止義務を定める特約をすること自体を不合理であるということはできない。しかし、労働契約終了後は、職業選択の自由の行使として競業行為であってもこれを行うことができるのが原則であるところ、労働者は、使用者が定める契約内容に従って付従的に契約を締結せざるを得ない立場に立たされるのが実情であり、使用者の中にはそのような立場上の差を利用し専ら自已の利のみを図って競業避止義務を定める特約を約定させる者がないとはいえないから、労働契約終了後の競業避止義務を定める特約が公序良俗に反して無効となる可能性を否定することはできず、その判断に当たっては、競業避止義務を定める特約が、もともと当事者間の契約なくして実定法上労働契約終了後の競業避止義務を肯定し得る場合について、競業禁止期間、禁止される競業行為の範囲、場所につき約定し、競業避止義務の内容を具体化しつつ競業避止義務の存することを確認したものであるか、それともそのような場合ではなく競業避止義務を合意により創出するものであるかを区別する必要がある。前者の場合には、競業行為の禁止の内容が労働者であった者が退職後であっても負うべき秘密保持義務確保の目的のために必要かつ相当な限度を超えていないかどうかを判断し、右の限度を超えているものは公序良俗に反して無効となるものと考えられる。右の判断に当たっては、労働者が使用者の下でどのような地位にあり、どのような職務に従事していたか、当該特約において競業行為を禁止する期間、地域及び対象職種がどのように定められており、退職した役員又は労働者が職業に就くについて具体的にどのような制約を受けることになるか等の事情を勘案し、使用者の営業秘密防衛のためには退職した労働者に競業避止義務賦課による不利益を受忍させることが必要であるとともに、その不利益が必要な限度を超えるものではないといえるか否かを判断すべきであり、当該特約を有効と判断するためには使用者が競業避止義務賦課の代償措置を執ったことが必要不可欠であるとはいえないが、補完事由として考慮の対象となるものというべきである。これに対し、後者の場合には、労働者は、もともとそのような義務がないにもかかわらず、専ら使用者の利益確保のために特約により退職後の競業避止義務を負担するのであるから、使用者が確保しようとする利益に照らし、競業行為の禁止の内容が必要最小限度にとどまっており、かつ、右競業行為禁止により労働者の受ける不利益に対する十分な代償措置を執っていることを要するものと考えられる。<中略>本件における競業避止特約は、Yらの役員としての地位に伴う委任契約の内容をなすもので、労働契約に付随するものではないが、上で述べた考え方は、本件にも当てはまるものである。本件における競業避止特約は、もともと当事者間の契約なくして実定法上委任契約終了後の競業避止義務を肯定し得る場合についてのものではなく、競業避止義務を合意により創出するものであることになるところ、<(1)競業禁止の合理的な理由・使用者の利益が不明なこと、(2)競業行為が禁止される場所の制限がないこと、(3)Yの講師としての貢献に照らし、1000万円の退職金が2年間の競業避止義務の代償とは認められないことから、>競業禁止期間が退職後2年間だけ存するという比較的短期間に限られたものであることを考えても、目的達成のために執られている競業行為の禁止措置の内容が必要最小限度にとどまっており、かつ、右競業行為禁止により労働者の受ける不利益に対する十分な代償措置を執っているということはできないから、YとX会社との間の本件役員誓約書及び本件役員就業規則における退職後の競業避止義務に関する条項の内容の約定は、公序良俗に反して無効といわざるを得ない。