HIV感染者解雇事件(労働者の人格権の尊重)

HIV感染者解雇事件(東京地裁平成7年3月30日判決)
「使用者といえども労働者のプライバシーに属する事柄についてはこれを侵すことは許されず、労働者のプライバシーに属する情報を得た場合にあっても、これをみだりに第三者に漏洩することはプライバシーの権利の侵害として違法となるとされた。」


[事実の概要]
Xは、ソフトウェア業務等を営むY1会社に雇用され、同ソフトウェアの販売等を営むタイ王国のY2会社に派遣された労働者であるが、派遣先の健康診断でHIVに感染していることが判明し、Y2会社代表者がY1会社にこの旨を連絡した。Y1会社代表者はXにこれを告知し、また、Xを解雇した。そこで、Xは、Y1会社に対して、当該解雇及びY1会社代表者の告知行為は違法であるとして、また、Y2会社及びY2会社代表者に対しても、本件連絡が不法行為に当たるとして、損害賠償を請求した。


[判決の要旨]
<Y1会社代表者によるXへの告知について>使用者は被用者に対し、雇用契約の付随義務として被用者の職場における健康に配慮すべき義務を負っているから、使用者が疾病に罹患した被用者にこの疾病を告知することは、特段の事情のない限り、許されるし、場合によってはすべき義務があるが、右特段の事情の存する場合には、使用者の右告知は許されないし、この告知をすることが著しく社会的相当性の範囲を逸脱するような場合には、この告知は違法となり、これをした使用者は当該被用者に対し人格権侵害の不法行為責任を負うべきものと解する<中略>。HIV感染者に感染を告知するに際しては、この疾病の難治性、この疾病に対する社会的偏見と差別意識の存在等による被告知者の受ける衝撃の大きさ等に十分配慮しなければならず、具体的には、被告知者にHIVに感染していることを受け入れる用意と能力があるか否か、告知者に告知をするに必要な知識と告知後の指導力があるか否かといった慎重な配慮のうえでなされるべきであって、告知後の被告知者の混乱とパニックに対処するだけの手段を予め用意しておくことが肝要であると言える。このようにみてくると、HIV感染者にHIVに感染していることを告知するに相応しいのは、その者の治療に携わった医療者に限られるべきであり、したがって、右告知については、前述した使用者が被用者に対し告知してはならない特段の事情がある場合に該当すると言える。そうすると、Y1社長がXに対してXがHIVに感染していることを告知したこと自体許されなかったのであり、前記認定のこの告知及びこの後の経緯に鑑みると、この告知の方法・態様も著しく社会的相当性の範囲を逸脱していると言うべきである。<中略>したがって、被告Y1社はXに対し、民法44条1項及び709条により、Y1社長の右告知行為によって被った後記損害を賠償すべき義務がある。<本件解雇について> 本件解雇の真の事由は、Y1社長の否定供述はあるものの、XがHIVに感染していることにあったと推認できる。 そうすると、使用者が被用者のHIV感染を理由に解雇するなどということは到底許されることではなく、著しく社会的相当性の範囲を逸脱した違法行為と言うべきであるから、本件解雇は、Y1会社のXに対する不法行為となり、Y1会社はXに対し、民法709条によりXの被った後記損害を賠償すべき責任がある。<Y2会社代表者の、Y1会社に対する、XのHIV感染の通知について>使用者が被用者に対し、雇用契約上の付随義務として被用者の職場における健康に配慮すべき義務を負っていることは前述のとおりであるが、被用者との間に直接の雇用契約関係にない場合であっても、右被用者に対し、現実に労務指揮・命令している場合にあっては、使用者の立場に立ち同様の義務を負うものと解される。しかし、使用者といえども被用者のプライバシーに属する事柄についてはこれを侵すことは許されず、同様に、被用者のプライバシーに属する情報を得た場合にあっても、これを保持する義務を負い、これをみだりに第三者に漏洩することはプライバシーの権利の侵害として違法となると言うべきである。このことは、使用者・被用者の関係にない第三者の場合であっても同様であると解される。そこで、本件についてみれば、Y1会社は、Xを〈中略〉派遣という労務形態で受け入れ、Xに対し現実に労務指揮・命令をしていたことは前記認定のとおりであるから、使用者の立場にあったということができ、したがって、Xの職場における健康に配慮すべき義務を負っていたと言うことができる。しかし、Y2会社のみならず、Y2会社代表者も、Xのプライバシーに属する情報は、これをみだりに第三者に漏洩してはならない義務を負っていたのである。ところで、個人の病状に関する情報は、プライバシーに属する事柄であって、とりわけ本件で争点となっているHIV感染に関する情報は、前述したHIV感染者に対する社会的偏見と差別の存在することを考慮すると、極めて秘密性の高い情報に属すると言うべきであり、この情報の取得者は、何人といえどもこれを第三者にみだりに漏洩することは許されず、これをみだりに第三者に漏洩した場合にはプライバシーの権利を侵害したことになる〈中略〉。Y2会社代表者は、A病院から全く予期しなかったXがHIVに感染しているという情報を取得したのであるが、この情報は、Xに関しての極めて秘密性の高い情報であることは前述のとおりであるから、Y2会社代表者は、これをみだりに第三者に漏洩してはならない義務を負っていたこととなる。それにもかかわらずY2会社代表者は、右情報をY1会社代表者にXの今後の対応方を委ねる趣旨で連絡したというのであるが、Y2会社代表者に当時右連絡の必要性ないし正当の理由があったとは到底認められない。<中略>よって、Y2会社代表者はXに対する直接の不法行為者として民法709条により、Y2会社は、代表取締役の右行為につき同法44条1項によりXの被った後記損害を賠償すべき義務がある。